悲しい知らせが届いたのは
二日後のライブの準備中で家の中は譜面を
広げ足の踏み場もなく作業をしていた時だったので
中々切り替えられないまま本番を迎え
覚悟はできていたものの
まだ現実を受け止めるまでに至っては居なくて
どうしたものか。
こんなに早くお別れの日が来るとは…
内山くんが歌う
「What a wonderful world」
「各駅停車」も大好きでした。
初めてお会いしてから50数年
まだ早稲田の学生さんだったでしょうか。
私が六文銭に参加した年
1971年に「ユイ音楽工房」が立ち上がり
その頃「猫」のメンバーとしてお会いしました。
お互いに一線から離れていた時期を経て
再会したのが「猫」が再結成した頃、
もう20年位前になるのかな
その後ご縁があって
猫の皆さんと共に日本中をツアーして周りましたが
スタートした頃はレンタカーに楽器を載せて順番に運転し、
時には歌い時にはイタズラをしたりと
移動中は毎日が修学旅行のようでした。
私にとっては2度目の「青春」だったのかも知れません。
ソロ活動がスタートしてからも
内山くんの赤い車「ウッチー号」に載せて頂き
あちこち周らせて頂きました。
ライブが終わってファンの方々との打ち上げは
楽しかったですね。
どんな時も「デン」としていて対局的に物事を見ている人でした。
いつもさりげなくフォローして下さって
そんな優しいあなたにどれほど私は助けられたか。
本当に本当にお世話になりました。
そして、ありがとうございました。
病院はさぞかし退屈だったでしょう。
もう充分です。
縛られるものは無くなりました。
自由に羽ばたいて下さい。
ただ、幕を下ろすにはまだ早すぎて
ここからは夢の舞台を田口くんや石山くんやお仲間と
心ゆくまで繰り広げて下さい。
疲れたら大好きな日本酒とちょっとしたおつまみと
さば寿司もね。
「こっちはいいぞ」と言われそう。
私は、もう少し居残りますが
いつかそちらに行った時は仲間に入れて下さいね。
それまであなたの分まで頑張ります。
合掌
四角佳子
202年6月30日
手元にあった写真です。
最高の笑顔!!
みなさん、いっぱい思い出して下さい。
そしていつまでも内山くんのこと
思っていて下さい。
最後の1枚は.四国ツアーの時に行った
JR予讃線「下灘駅」にて
ウッチーが撮ってくれた1枚
絵葉書みたいだねって…